2020年9月中旬 小岩井農場自転車ツーリング 盛岡は猛暑から秋へ

 小岩井農場へ自転車ツーリングした前日の話からです。

9月12日(土)に1ヶ月ぶりにロードに出ました。これまで盛岡も最高気温が毎日34度もあって、とてもロードには出られない猛暑でした。ところがこの日を境に急激に気温が下がって、最高気温26度に。また翌日の13日(日)も25度前後。いよいよロードツーリングの時期になってきましたね。

 

 とういうことで、土曜日は足ならしのために、夕方1時間ほど米内川沿いのいつものルートをツーリング。ただ出発してすぐに雨がざんざん降ってきたので、すぐに戻り16km程度。

 

 日曜日は、午後から時間が空いたので、2時に出発、5時過ぎに帰宅を予定で、3時間の小岩井農場ツーリングに出発。実は教え子さんに旅行会社に勤務している方がいて、いろいろと仕事の情報交換をしていたら修学旅行を添乗して小岩井農場へ最近、行ったとのこと。

 

 レンガサイロや上丸牛舎、まきば園などの話をしていて、私が「宮沢賢治の詩に出てくる『四階倉庫』知ってる?」と尋ねたら、知らないということだったので、いろいろ説明してあげました。その時に、彼女のために、写真をとってきてあげようか、そして秋の様子を捜しに行こうかと思い立ったのです。

 

 行きのルート 

自宅→県道16号線→四十四田ダム→滝沢駅前→分れ→県道278号線→柳沢→春子谷地→小岩井農場

 戻りのルート 

小岩井農場小岩井駅→看護短大前→篠木小学校→県道16号線→滝沢市役所前→北陵中学校前→4号線→四十四田ダム→松園

 合計55キロ 3時間20分

 

 小岩井農場付近から強い雨が降り、昨日に続き難儀なロードでした。ちょっと無理したかなと反省しきり。負荷のかかるツーリングは土曜日にやって日曜日に体力を復活させないと仕事に影響が出る事が経験的に知っていたはずなのに、、、。

 

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滝沢市の通称「分レ」にある道標

「岩鷲山」と書いてます。岩手山のこと。

(鹿角街道と岩手山柳沢地区への分れ道を示しているそうです)

 

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もう、岩手山周辺は秋でした。栗が落ち始めました。

 

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春子谷地湿原から望む岩手山 手前の低いのが鞍掛山

どちらも宮沢賢治が愛してやまなかった山々

 

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小岩井農場前の道路 県道219号線

 

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小岩井農場 正面に見えるのが国内最古のサイロ

 

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上丸牛舎入口(看板が変わったような気がする)

 

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滝沢市大沢地区の道標 越前堰沿いの道路 

 

 

私の選んだ世界一悲しい曲トップ10 第10位「セブン・イヤーズ」by ルーカス・グラハム

こんにちは。リトルハンド安倍です。

 

自分が選んだsaddest songs(悲しい曲)をランキングで紹介します。

実はまだ10曲集めていなくて、構想では5曲ぐらいはすでに選んであるのですが。

また順位は特に意味がなくて、まあなんというかランキング形式にした方が自分でも書きやすいかなと思ったぐらいの意味です。少しずつ追加していきたいと思います。

 

これをはじめたいと思ったきっかけは2つあって、

 

一つは、純粋に自分が歌詞の内容を知りたいということ。翻訳するといろいろと面白いことがわかります。内容理解が一番楽しいんですが、他にも韻を踏んでいるとか、リズムとか詩的な分析をすると面白いというか、作った人の苦労を感じることができて100倍楽しめるんですよ。たとえて言えば、建築を見る時に建物そのものだけでなく、設計図を見るとまた驚きがあるような感じです。

 だから人のためじゃなくて、まったく自己満足(自己陶酔)の世界です。(笑)

 

 2つめは、若い人(10代から20代)に特に聞いて欲しいと思っていること。邦楽やK-popが流行っていてそれはそれで楽しいですのですが(わたし、K-pop好きです)、洋楽を聞きっぱなしにせず、なぜ人の心を打つのか、なぜウキウキするのか、その理由を歌詞や韻を分解して、一緒に楽しんで欲しいなと思うからです。そして、洋楽をもっと愛して欲しいなと思うからです。

 

では第1回目をいきますよ。

 

まず、第10位は2015年発表の「セブン・イヤーズ」です。

ルーカス・グラハムというデンマーク出身のバンドの曲です。

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タイトル: 7 years セブン イヤーズ  「僕が7つの頃の話」

シンガー: Lukas Graham  ルーカス・グラハム (バンド名)

      2015年メジャーデビュー。デンマーク国のコペンハーゲン市出身のバンド

メンバー:ルーカス・フォルクハマー、マーク・ファルグレン、マグナス・ラーション

 

曲が生まれたきっかけ:

 ルーカスの父が61歳で亡くなった時に、父が生きたことを残すためにこの曲を書いた。また、自分が父になって、父親であることの素晴らしさを感じたからと述べている。父が亡くなっていなかったら、この曲は生まれなかっただろうと述べている。曲のテーマは「成長」または「老い」です。ルーカス自身はgrowing old(老いること)と言っていて、growing up(成長すること)とは言っていないので、やはり「老い」でしょうかね。

 

 ルーカスは、自分の夢は年老いたときに皮肉ばっかり言っている年寄りになることではなく、「ねえ、きみ、父さんに会いに行くの?」と子供の友達が聞いた時に、続けて「君の父さんによろしく言ってね。だって、君の父さん、最高だからね」と言わせるような父になりたいと述べている。また、そうした父を自分が持ったことを誇りに思っているとも述べている。(以上は、ウィキペディア英語版「7 years」から)

 

アルバムジャケット 7yearsを象徴する絵ですね。

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私が感じたのは:

 愛情がこもった曲ですね。父への愛情、母や妻への愛情、友への愛情、子供を慈しむ心、素晴らしいっす。きっと、性根が優しい人なんですね。ストレートというか。今時、「おやじを尊敬してます。」って言う人、います? 

 なんかね。世の中がそうなのか、テレビのバカタレントの影響なのか人を馬鹿にするようなすれっからしの性格が多くて、「育ててもらった母のことは愛してやみません」と言う人います??(爆笑)

 いるんだろうけど、表の世界には出てこないのかなあ。

 でも、このストレートな歌詞が世界中でうけたんだね。世界の人はやはり普遍的な価値観を今でも持っているんだね。

だって2016年世界で最も売れた歌の第8位になり、全米ビルボードはもちろん、英国、デンマークなど主要音楽国でNo.1になっています。やはり、世界もこうした家族を想う気持ちへの回帰が始まっているのかなと思います。

 歌い方も独特でSuperglue chorus(ねばっこい歌唱法)と批評家は言っています。歌詞では中学で習う「命令文+or」(〜しなさい。さもないと〜だよ)が繰り返されるんですが、このor(オア)の歌唱法が素晴らしいっすね。

 さらに、リズムがいいですね。リズムに乗り切れないほどの歌詞を詰め込んで、それをむりやりリズムに溶かしながら歌う歌唱法は素晴らしいです。

 私が初めて聴いたのは、世界デビューした時だっと思います。たまたまテレビを見ていたらDJの小林克也氏(あのレジェンド小林克也です)が、この曲をすごく推していました。小林氏は「ルーカスは父の死をきっかけにこの歌を書いた」と言っていました。

 その後、自分の人生も節目を迎え、4番目の子供が大学進学で上京して家を出て、メンタル的に深刻な「子供ロス」に陥って、併せて東日本大震災で被災した父がついに入院したりして。そんなこんなで心に響くようになってきて。いい曲だなと改めて感じました。

 自分は英国のJasmine Thompson(ジャスミン・トンプソン)という女性歌手のカバーが好きで聴いています。よって、いろんなバージョンがあるんですが、私のお勧めはジャスミン・トンプソンのカバーです。

 曲調が静かで、ピアノが響いて、歌声がのびやかで透き通っていて。最高です。

 

ジャスミン・トンプソン版 


7 Years - Lukas Graham (Cover by Jasmine Thompson)

 

では、歌詞です。

 歌詞は自分の拙訳です。ですから、他の人の和訳とは少し違いますし、ワーナーブラザーズで出している邦訳とも違います。自分の感性で訳しました。間違っていたら優しく教えてください。(傷つきやすいので、その辺よろしく。)

 

[Chorus1]

Once I was seven years old, my mama told me

僕がまだ7つの頃、母さんが僕に言ったんだ
Go make yourself some friends or you'll be lonely.

さあ外に出て自分で友達を作るんだよ さもないと孤独になるってね
Once I was seven years old.

それはまだ僕が7つの頃の話さ

 

[Verse 1]
It was a big big world, but we thought we were bigger.

世界は今よりずっと広かった でも僕たちはもっと大きく羽ばたけると思っていた
Pushing each other to the limits, we were learning quicker.

お互いとことんぶつかり合って、僕らは人生を少しずつ学んだいった
By eleven smoking herb and drinking burning liquor

11までには大麻を覚え、強い酒を飲むようになった
Never rich so we were out to make that steady figure
金がないので、まとまったお金を稼ぐために外の世界に出た

 

[Chorus2]

Once I was eleven years old, my daddy told me

むかし、僕が7つの頃 父さんは僕に言った 
Go get yourself a wife or you'll be lonely.

外の世界に出て自分で妻を見つけなさい さもないと孤独になるぞってね
Once I was eleven years old.
それは僕がまだ7つの頃の話さ

 

[Verse 2]

I always had that dream like my daddy before me

僕は父さんと同じように音楽で成功する夢を持っていたんだ
So I started writing songs, I started writing stories

だから僕は歌を書き始めた 物語も書き始めた
Something about the glory, just always seemed to bore me

少し成功したけど、いつも退屈だった
Cause only those I really love will ever really know me

だって僕が本当に愛していたものだけが僕のことをわかってくれると知っていたから

 

[Chorus2]
Once I was twenty years old, my story got told

二十歳のころかな 僕の書いたものが読まれるようになった
Before the morning sun, when life was lonely.

朝日の前では、人生は孤独なままだった
Once I was twenty years old.

それは僕が二十歳の頃の話さ

 

[Verse 3]
I only see my goals, I don't believe in failure.

僕は成功だけを夢見ていた 失敗なんて考えたことさえなかった
Cause I know the smallest voices, they can make it major.

田舎で生まれたちっぽけな歌でもやがて大きな花が咲くと知っていたから
I got my boys with me at least those in favor

僕は気の合う仲間も出来た
And if we don't meet before I leave, I hope I'll see you later.
たとえ出かける前に会わなくても、後で必ず会える信頼できる仲間が

 

[Chorus 4]
Once I was 20 years old, my story got told

二十歳になって、僕の書いたものが売れ始めた
I was writing about everything, I saw before me

僕はなんでも書いていた それこそ僕が実際に見たものは何でも
Once I was 20 years old.

むかし、僕が二十歳だったころの話しさ
Soon we'll be 30 years old, our songs have been sold

やがて僕たちは30歳になるだろう 僕らの歌は歌われ続けるだろうか
We've traveled around the world and we're still roaming.

僕らは世界中を旅してきたし 今でも世界を放浪している
Soon we'll be 30 years old.

僕らもやがて30歳になるだろう

 

[Verse 4]
I'm still learning about life

僕はまだ人生について学びつつけている
My woman brought children for me

妻は僕に子供達を授けてくれた
So I can sing them all my songs

おかげで僕は子供らに僕が書いた全ての歌を歌って聴かせることができる
And I can tell them stories

そして僕は子供らに僕の物語を語って聞かせることもできる
most of my boys are with me

僕のバンド仲間はほとんどいつも僕と一緒さ
Some are still out seeking glory

今でももっと夢を追いかけているやつもいる
And some I had to leave behind

だけど置き去りにしなければならなかった仲間もいた
My brother I'm still sorry
ああ、兄弟よ 僕を許してくれ

 

[Bridge]
Soon I'll be 60 years old, my daddy got 61

やがて僕は60歳になるだろう 大好きな父さんは61で死んだ
Remember life and then your life becomes a better one

人生を振り返れば、僕らの人生はもっとましなものになる
I made the man so happy when I wrote a letter once

むかし僕が父さんに手紙を書いた時、父さんはすごく喜んでくれた
I hope my children come and visit, once or twice a month

僕の子供たちも時々訪ねてきてくれるといいな 月に1度か2度でもいいからね

[Chorus 5]

Soon I'll be 60 years old, will I think the world is cold

じきに僕は60歳になるだろう 僕はその時、この世は冷酷だと思っているのだろうか
Or will I have a lot of children who can bore me

それとも、僕をうんざりさせるほどのたくさんの子供に囲まれているのだろうか
Soon I'll be 60 years old

いつか僕は60歳になるだろう
Soon I'll be 60 years old, will I think the world is cold

すぐに僕は60歳になるだろう 僕はその時、この世は冷酷だと思っているのだろうか
Or will I have a lot of children who can bore me

それとも、僕をうんざりさせるほどのたくさんの子供に囲まれているのだろうか
Soon I'll be 60 years old

やがて僕も60歳になるだろう

 

[Outro]
Once I was seven years old, my mama told me

むかし僕が7つだった頃 母さんは僕のよく言ったものさ
Go make yourself some friends or you'll be lonely

外の世界に出て自分で友達を作りなさい さもないとずっと一人ぼっちだよ
Once I was seven years old

それは僕が7つの頃の話
Once I was seven years old

それは僕がまだ7つの頃の話

 

ラヴィス版の"7 years"  男性ボーカルもいいですね。


7 Years - Lukas Graham (Cover by Travis Atreo)

 

では、最後にご本人ルーカスに登場してもらいましょう。

2017年のノーベル平和賞授賞式でのコンサートです。

さすが、世界的な曲ですから、ノーベル賞授賞式にふさわしいです。


Lukas Graham - 7 Years | The 2017 Nobel Peace Prize Concert

 

おまけ

配給元のワーナーブラザーズが作った公式動画

字幕翻訳も載っていますし、画像が歌詞を忠実に表現していて内容をつかみやすいですね。


ルーカス・グラハム 『セブン・イヤーズ -僕はまだ7歳だった-』 / Lukas Graham - 7 Years

以上です。

 

読書感想文のつもりが自転車旅行記


何も書くことが思い浮かばないので、はてなブログを見ていたら、今週の「お題」が「読書感想文」なので、これで少し書いてみます。

 この夏、読んだ本は、「逃げ」という岩手県八幡平市で開催されたサイクルロードレースの本。岩手日報の読書欄で紹介されていたので、文庫本を買って読みました。

 自転車レースというと、ただバカみたいに全力でチャリンコ漕いでいるだけと思われれていますが、実は違うんですよね。

 駆け引きだったり、だましだったり、集団を支配して無言の圧力かけたり。自分の体力を常に計算して、残りのエネルギーをいかに効率よく使うか考えたり、、、。本当に、数時間のレースですが、心理的な競争でもあるわけです。

 そのあたりを、書いた本です。実在の人物が登場するので、自転車好きにはたまりません。「ええ?あの選手って、こんな苦労してたのか?」とか、少し驚きがあります。自転車好きはもちろん面白いのですが、自転車好きでなくても楽しめるエンターテイメントがあります。

  今夏は、この1冊だけだったです。(寂しいっすね。だんだん、バカになっていくような寂しさを感じます。)

 

 思い起こせば今年(2020年)は、今まで自転車を漕いできました。週末を使って、あっちこっちにソロ(単独)で行ってきました。

 主なライドは、(ライド=ride=自転車旅のこと)を書いてみます。順不同です。

 

 安比ライド (自宅~IGR赤坂田駅 48km 帰りはJR花輪線

 自宅から安比高原を超えて、安代町坂田駅まで。帰りは自転車をたたみIGR(岩手銀河鉄道)で帰った。途中、博多からツーリストおじさんと出会う。いろいろ教えてもらいながら、走った。博多のおじさんは、北海道の千歳を目指していた。その日は、鹿角市まで行くという。おじさんでもできるなら、俺でもできるかと思わされた旅。(注 実際は、おじさんよりも私の方が年上ですが。)

これだけ、2019年の晩秋。

 

ここから2020年2月から最近まで。

北上ライド(自宅~北上駅 70km 帰りは東北本線

 盛岡の自宅から北上駅まで4号線を70キロ位。4号線のコンビニをたどる旅。帰りは、自転車をたたんで、JR東北線で帰盛。

 帰りの電車では、こんなに体力に余裕があったのだから、次は絶対に盛岡から一関まで行こう!いつかやってやる!と決意をした日。(メラメラ)

 

沢内街道ライド(雫石町西和賀錦秋湖道の駅 47km 帰りは車)

 雫石町温泉病院から「ほっと湯田駅」までの沢内街道47km。ずっと沢内街道に憧れみたいなものがあって、県立図書館で「沢内街道」の本を借りてきて、文献調査をしまくり、Google Mapで自分でルートを手書きして、見所ポイントを30か所ぐらい印をつけておきました。

 コンビニなど1つもないので、妻に車で伴走を依頼。「ほっと湯田駅」までだったのが、ほっと湯田駅周辺の錦秋湖が絶景と行っていいほどきれいで、心が和みました。

 調子づいてきたので、錦秋湖の道の駅まで延長してライドすることに。道の駅でリーフと合流して自転車をたたんで積載して帰りました。

 このコースしみじみよかったです。雫石町和賀町を分ける山伏峠を越えたら、もう、ずっと緩やかな下りの一本道がまーっすぐ何キロも続いています。

 信号もなく車もほとんど通らないし、自転車乗りの天国みたいなところ。

 ずっと高速走行しているうちに、「おれって、新城幸也(あらしろゆきや)?」って思った。

 (注 新城選手は日本人でツールドフランスに出場する日本最高峰の自転車ロード選手。去年、タイで激しい合宿しているのを見たことがあって、その雰囲気を思い出した。でも新城選手の半分もスピード出ていないんだけど。)

 実行までに3か月ぐらい計画を練っていたので、また、豪雨で引き返して諦めた日もあったので、完走して大満足です。あんまり、気持ちよく走ったので、30か所以上の見所ポイントをすべてすっ飛ばしてしまいました。何も見なくても、ただただ走ることで喜びを感じさせてくれるすばらしい道。

 

 二戸ライド(自宅から二戸駅 74km 帰りは岩手銀河鉄道

 二戸まで行くつもりなく、奥中山高原駅(十三本木峠=国道4号線の最高標高地点)を目指して出発。なんとか必死こいて奥中山峠を征服し満足に浸りながら、駅前食堂でおばあさんと談笑しながら、昼食をとる。

 町中華でラーメンとカレーを同時に食っている最中、なぜかハッピー感に包まれて不思議な元気がみなぎってきて、たしか、この先は二戸駅までは全線下りだったなと、実力を超えた妄想が。

 その妄想にかられ調子に乗って、そのまま二戸駅を目指したきままな旅でした。

で、行って正解でしたね。盛岡~奥中山高原もよかったですよ。渋民、川口、沼宮内はバイパスを走らず町道を走ると、気分がいいですね。途中、川口で元宝塚女優の銅像を拝むことが出来ました。

 そして、さらに旅の風情がよかったのは一戸町の町内。旧道を走ると幸せ感マックス。やはりバイパスはダメですね。風情がない。そこへいくと、旧道はいい。実にいい。自然に折れ曲がり、川沿いに古い酒屋や衣料品店があって。道が直角に曲がっていたり、供養碑や道しるべの石がまだ残っていて、ほんとうにいいですね。レトロ感たっぷりの感動旅でした。

 二戸駅は新幹線駅なので、近代的ですごく立派でした。自分は在来線の岩手銀河鉄道で帰ってきましたが、自転車を畳んで列車の乗るまでに駅構内をうろうろしていたら、切符を紛失してしまうアクシデントに。親切な駅員さんに、あとで見つかったら、払い戻りできるので、と聞いてもう1枚買って帰ることに。切符をなくすなんて、やはり、想像以上に疲れがたまっていたんだなと反省しながら、列車に乗車。

 

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奥州街道盛岡市玉山地区)から岩手山

 

 三陸海岸ライド(山田町から釜石駅まで45号線を海を見ながら)

  盛岡から宮古まで車で移動。

 ほんとうは宮古駅前から釜石駅までの予定だったのだが、この日は本当に寒くて。途中の区界峠は雪。また、車外温度計は4℃を指していて、気分げんなり。こんな日にチャリこいだら、凍っちゃうよ。

 なんで、こんな日に、自転車旅にきちゃったのかなと後悔しつつ、妻とリーフに乗って宮古駅前到着。遅い昼食を摂ったら、眠くなってもう自転車どころじゃなくなって。

 とにかく寒いから宮古市から15キロ先の山田町まで車で移動することに。するとさすが太平洋の沿岸地域、だんだん暖かくなってきたので、山田町から釜石まで自転車に乗ることにし計画決行。

 妻の伴走があったので、まあ安心して走れました。大槌町がすっかり変わっていたので、驚きました。海をみるとなぜかジーンと来ました。宮城の海育ちなので、心の波長が合うのでしょうね。船越半島がとりわけきれいでした。

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山田町の名所、四十四坂から船越半島を望む

 

 早坂峠ライド(自宅から岩洞湖経由、早坂峠 46km 帰りは車 )

 盛岡市の自宅からワカサギ釣りで有名な岩洞湖までが最難関の場所。獲得標高差が700mぐらいあって、ほとんど気絶状態です。そこを超えると、ソバで有名な薮川(やぶかわ)(本州でも最も寒い地域)を通って、岩洞湖へ。

 なぜか、40名ぐらいの高速自転車集団(おそらく高校生)とすれ違うという珍事発生。自分はソロで走っているので、ほとんどチャリダーと会うことはないので、そんな集団を山中で見た自分にとってはショッキングな出来事。

 次々と降りてくるチャリダー集団(おそらくトレーニング中か、結構ばらけていた。途中と最後にコーチらしき人の伴走車あり)にバカにされないように、必死に登りでスピードを維持するおっさんライダーの私。

 岩洞湖のレストランで有名なラーメン食ったら、それまでのしんなりした気持ち(実力以上の飛ばしすぎ)が、急に元気が出てきたので、そこから延長して早坂峠を目指すことに。

 いつも、「あそこで、やめとけばよかったのに」と思いながらも、道が続いていると、その先はどうなってんだろうと思って、ついつい無茶してしまう性格。

 で、「行けるとこまで行こう!」とそこから妻に電話して、帰りの救援を早坂峠に予約を入れる。2時間後、ほぼ同時に早坂峠に到着。

 岩洞湖から早坂峠区間は、牧場が多く、景色絶景でした。でも、国道からそれて早坂峠への脇道が激坂でつらかった。早坂峠は人でにぎわっているかと思いきや、コロナで無人状態。別にゴール時に拍手されることを期待したわけではないが、無人とは思わなかったです。記念撮影してそそくさと帰りました。

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盛岡市と岩泉町の分岐点 早坂高原

 

 八幡平スキー場往復ライド(自宅から八幡平スキー場まで)

 日曜日の朝、なぜか無性に走りたくなって、目的も決めずに「北へ」と出発した旅。八幡平の観光協会道の駅まで行ってみようと途中で決めて、営業を終えたばかりの八幡平スキー場を通過し、アスピーテラインの入口まで行った。いつか自転車で登ってやると、決意をして、そのまま自転車で帰路に。

 帰りに、「松尾鉱山資料館」にちょこっと寄ったら丁寧に説明してもらって1時間ほど、松尾鉱山の歴史勉強を。自分も歴史好きなので、松尾鉱山の成立と衰退がわかって嬉しかったです。

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宮沢賢治も大好きだった天然記念物「焼け走り溶岩流」と岩手山 

  

姫神山ライド(自宅~姫神山麓好摩駅渋民駅~自宅)

 自宅から姫神山のふもとの空中農道を走り好摩駅まで行き、そこからIGRの駅を渋民駅などを順にたどりながら自宅まで戻ってくるというもの。空中農道というのは自分がつけた名前で、一度車で走った時に、農村風景の美しい標高の高い場所をものすごい立派な農道が通っていて、誰も通らないので、自転車で行ってみようと思っていたのです。行ってみて、車では標高差がわからなかったことを思い知らされ、まあ、アップダウンの連続で、正直来るんじゃなかったと後悔した場所。途中でチャリダーをすれ違ったので、いや、みんなもここ好きなんだと思って気を取り直す。好摩駅前のコンビニで有名なモチ食って、また元気出たので、あとは北上川沿いの岩手銀河鉄道をたどりながら、行ったことのない、文学上有名な「渋民駅」を探訪。渋民駅は、石川啄木で有名です。盛岡に30年以上住んでいて、渋民駅に行ったことがなかったことに気が付き、寄ったんです。啄木はこっから、東京に行ったり、北海道に逃げたりしたのか、と思うと感慨深かったです。

 

秋田街道ライド(自宅~御所湖~道の駅雫石あねっこ~自宅 70km)

 もうね。なんというか、どこかに行きたい気持ちが抑えられなくなるだよね。家にいると。わくわくするというか、言葉で表現しづらいのだけれど。平日の夜は地図ばかり見ているわけ。そして、今度の土曜日は、秋田県田沢湖まで約70キロ走破しようと計画を立てるわけ。で、実際、その通り出発するんだけど、この日は天気も良かったので、46号線(秋田街道、盛岡市田沢湖町を結ぶ)をまっすぐいかず、余裕ぶっこいて、盛岡市内の太田地区から御所湖を回って、46号線に出ようとしました。
が、そこで足を使い果たして、途中の雫石町の道の駅(雫石あねっこ)で断念。断念して、家まで戻る旅となりました。

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雫石町の農道から、秋田駒ケ岳(左)と岩手山(右)

 

 八幡平山岳ルート(アスピーテライン&樹海ライン気絶旅 47km 標高差1000m 、雪の回廊、ドラゴンアイ)

 登りは八幡平観光案内所から、アスピーテラインで秋田県境見返り峠まで、下りは樹海ラインを通って、観光案内所に戻る。距離は47キロ位でしたが、獲得標高差が1000mだったので、山頂付近で一時的に気絶しました。獲得標高1000mってこんなにきついのかと。途中、3回バイクを降りて押しました。傾斜が何%って書いてあったと思うのですが、そんなもの見る余裕もなく。追い越される車に注意しながら、決してフラフラしてセンターライン側に倒れないように(倒れると車にひかれる)、時に立ち乗りしながら、雪の回廊みたさに、漕ぎました。たかだか峠まで17キロなのに。逆に言うとたった17キロの道のりで1000mも標高が上がるってことはとんでもないことだと知りました。車だってつづれ折りの道をローギアでふかしながら登ってきて。ぶつけられるんじゃないかと、その爆音が正直恐怖でした。

 見返り峠に到着し、計画通り、樹海ラインを使って戻ることにしたのは下調べ不足でした。来た道を引き返せばよかった。

 「樹海ラインは降りるだけ」と思っていたら、なんと途中、予定外に2キロほど登りがあって、嘘だろ、と驚きました。しかも、ずっと尾根のところに上りのルートが見えるじゃありませんか。人間ってパニくるものです。実はボトルの水が切れてしまって。脱水状態だったので、下りでも意識が朦朧としていたのに、登りをみたとたん、「登りは無理だ。足はもうのこってない。遭難するかも」と暗い気持ちに。まさか、たまに通る乗用車に「ヘルプミー!」とは言えないしなあ。高い自転車をそこらに捨てて車に乗せてもらうか?などよくないことを考えながらフラフラと。ダメだこのままだと本当に気持ちから最初に遭難してしてしまうと覚悟決めて、もうろうとしながらも自分を励まし、「絶対に助かるから、軽いギアでゆっくり登ろう。いつか下りがやってくるだろう。日が暮れる前につけば、助かるはずだから」と鼓舞しながら、樹海ラインを這うように降りてきました。下りに入っても危なくて、フラフラしているのでしっかりとハンドルを握りスピードを出さずに対向車とすれ違う時にはさらに減速し、なんとか下ってきました。下調べは、ほかのライダーの記録を読んだだけなので、ちゃんと、ルートマップ使って、帰りの標高差とアップダウンも計算しておけばよかったと、大変な勉強になりました。(写真は、有名なアスピーテラインの雪渓と愛車FELT号)

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 区界高原ライド(自宅~盛岡競馬場区界駅~106号線~自宅 74km)

 盛岡市の松園地区の自宅から区界駅まで。獲得標高700m位。これまで自宅から東西南北。そして、その45度方向、つまり、東南東とか、西南西とかをルート探訪していて、残ったのが、この東ルート。いわゆる宮古街道。またの名を106号線。ある土曜日、意を決して出発しました。「意を決した」なんて大げさだけど、この道は車の往来が激しくて、道が狭くて、路肩なんてないので、非常に危ないルートだったので、行くのが嫌だったんです。

 でも、すべての方角を征服すべく、日帰り旅を決行しました。

 自宅から、4号線に出て、茶畑交差点(宮古街道の起点)から入ってもよかったのですが、ルートナビによれば、盛岡競馬場、綱取ダム経由が近道だって言っているので、その通りにしました。それが失敗。

 競馬場までの道でかなりの足の体力を使ってしまいました。次の失敗は、現在道路改良中で高速道路と一般道がつながっていて、どこから自転車に登ればいいかわからないまま出発。それで一般道をずっと行って、近所の人に聞いたら、行き止まりだけど、自転車なら行けんじゃない?と言われ、そのまま7キロほど一般道を侵入。したらば「この先工事中。行き止まり」の表示。しかたなく朝飯のおにぎりをほおばりながら、スマホでルートチェックしたら、戻って「高速道路に登れ」と。高速道路は自転車禁止なのに、と思いながら言われた通りに高速道におそるおそる登っていくと、なんと高速道路に見えたのは、高速道路と高規格道路がつながっていることが判明。高規格道路は、ルール上は一般道なので、自転車通行可能。たしかに、看板に「ここから一般道」の表示あり。往復14キロのロス。高規格道は登ってみれば、自転車にとって最高の道路。アップダウンも少なく、かなりスピードが出ました。最後の飛鳥口(あすかぐち)から、旧道になっていて、そこから激坂。「まあ、いくしかねーべ」と自分に気合を入れて、どんどん、ダンシング(立こぎ)で登るとあっと言う間に、区界峠。拍子抜けしてそこでトイレ休憩だけすませて、一気に盛岡市内に向けてダウンヒル。時速50キロ位でどんどん下る。車が後ろから来ないので、不思議だなと思っていたら、15キロ先の平坦地で路線バスに抜かれて判明。路線バスが後続の車をブロックしていたんですねえ。どうりで気持ちよく20分ほど、ダウンヒルできたはず。来るときは2時間もかかった道も帰りは30分で盛岡市内中心部に到達。そこから自宅へ一路帰路に。

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ようこそ宮古市! 区界道の駅

 

日帰りのロングライドは以上です。日帰りのライドは40km~70kmですが、1~2時間、ひょっこり時間が空いたきは、10km~30kmぐらい市内を走っています。

 

 好きなコースは米内川から浅岸へ出て、肴町から本町通りを経て、緑が丘から松園へ帰るコースです。私の普段の自転車散歩道(約25キロ)です。

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岩手銀行中の橋支店

  以上です。

秋は、北上山地を縦に走るR396号を走って、岩手の山村風景を楽しみたいと思います。冬になったら報告します。

 

中1英語サンシャイン プログラム10 新出語句と文法事項解説

pdf書類を毎日、1つ作ろうと思います。

これも修行だと思って、取り組みます。

生徒のみなさんも、コロナに負けず、がんばってください。

 

必要な方は、下の文字をクリックしてください。

プログラム 7

プログラム 8

プログラム 9

プログラム 10

 

中一英語サンシャイン プログラム9 新出単語と文法事項の練習問題

標題のpdfを作りました。

日本中の英語で困っているみなさんのお役に立てれば、幸いです。

ここにあります。

A4で4枚あります。

https://ppxa-my.sharepoint.com/:b:/g/personal/kk3339_office365svip_tw/Ea_FTpwVSdJNgIKgRLidVoMBBz9iEMrvK73hJRsJc-9h2w?e=tzDBfa